2007年11月08日
ヒンギス、ラスト特集
2003年休業宣言をし、
世界に一人、偉大な選手が幕を閉じようとしていた
原因はモチベーションもそうだが、
足の怪我が深刻で歩行や少しの運動なら支障は無いが
プロレベルのなかでだと足は生命線なので
ヒンギスは静かにコートを去った。。。
その後はインタビュアーや解説者、遊びで乗馬やゴルフ
若くしてテニス界の女王になったので
今までの青春、楽しみたい
ヒンギスは、自分がやりたい事をやり、過ごしていた
ヒンギスは解説者としては、毒舌であり、
「えっ??あれを決めれないの??
私なら絶対決めるわ」
など、世界の頂点を極めた人だからこそ、言える解説・・
けど、だからといって、解説に才能があるかというと
そんな事は無かったようだ
けど解説をしている時に、ふと私ならこうやるわ!!
私ならこうして勝ちにいくかしら?
そう思っているうちに、ヒンギスの中のテニス魂が
燃えてきて、後は足の怪我との戦いであった
お医者さんは足は問題ないとの診断
そして
・・・2006年、ヒンギスが突然の復帰
これはテニス界にとっては、大きなサプライズであった
だが周囲の目は厳しく、ヒンギスのテニスは古い
3年も休んでいて、今のパワーテニスに勝てるはずが無い
ヒンギスは年始から試合であった。。
筋トレのパワートレーニングを3ヶ月やっただけで
持久力まで鍛えていける時間が無かったようで
はじめ、ヒンギスの体力面がキーであった
1月オーストラリアハードコート選手権ではSF進出
その次のアディダス国際ではエナンと1回戦
であたり2-6、3-6であった
エナンは言った「もう彼女のテニスは古いから勝っていけない・・・・」
全豪はヒンギスと相性の良い大会
全豪の1回戦では、
シード選手ベラ・ズボナレワであった。。
素質の高い選手で元世界ランク9位だった選手
そして前哨戦準優勝をして、良い調子で全豪に入った彼女
周囲はヒンギスを応援するものの半身半疑であった
だが周囲の心配をよそに
ズボナレワをずっと攻めて、コントロールとボールの高低さ、ライジングなどを織り交ぜ快勝で勝ったのであった
WOWOWの解説者も大絶賛でテニスはパワーだけではない!
など改めてテニスの面白さを視聴者に訴えかけた
TVを見ていた人たちは虜になり、
「ヒンギスの試合をぜひまたお願いします」
と局にお願いの電話が鳴り続けた
久々にパワーだけでない、戦略と、技術でのテニスの
醍醐味があった
またその全豪ではベスト8で第2シードのキム・クリスターズに負けたものの、素晴らしい試合運びだった
そして、圧巻は日本で行われていた東レ
東レはヒンギスは1997年~2002年まで決勝にいって
東レでは、東レの顔とも呼ばれていた
2006年、約4年ぶりに復活であった
そこで当時世界ランキング4位、同大会の第1シードだったシャラポワに
6-3、6-1でまさかの勝利
その東レ戦の光景は目を疑いたくなるほど
シャラポワを手玉にとり、ヒンギスが戦略と相手を翻弄する
ヒンギスのカムバックにふさわしい試合をした
シャラポワが一番驚いていた結果であった
その後も好成績を残し、ランキングは右肩上がりに上昇する
そしてイタリアで復帰後、Tier1のイタリア国際選手権で
バイディソワ、ビーナス・ウィリアムスなどの強豪を倒し
見事優勝
その時点でランキングは16位まで上り詰めていた
全仏ではベスト8まで進出し、
ヒンギスの復活はセンセーショナルであった
ウィンブルドン、全米では早期敗退をしてしまったが
その後も優勝をして
その年のランキングベスト8しか出場出来ない
最後の大会WTAツアー・チャンピオンシップにも
出場権を獲得し、
そこでは、ペトロワに勝利し、エナン、モーレスモには惜しくも負けたがフルセットまでもつれ、
ヒンギス自身、1年でここまで来れるなんて・・・・
1年でランク外から7位まで上り詰め
ヒンギスの復活は誰の目から見ても成功であった
2007年、今年
全豪ではベスト8まで進出し、
東レでは今、世界ランク4位のイバノビッチを手玉に取るように決勝で勝利で優勝
ヒンギス自身も自分がこんな成績を残せていけて
自分自身のこれからに期待をしてしまう自分がいるわ!!
今年はよりブレイクするかと思われた
しかし、怪我に悩まされ、婚約を破棄したり
体力的にも、精神的にも不安定になり
思うように試合が出来ず勝てなくなった
東レ以降、10大会で準々決勝に2回で
後は、2回戦、3回戦での早期敗退
ランキングの低い選手や若手の選手に負けていく・・・
ラケットを途中バボラに変更しようなど、
ヒンギス自身も悩み、解決をしようとしていた
9月以来、臀部の怪我を理由に来年の試合に調整する為に
すぐ今年のツアーを終了し、来年に備えようとしていた
しかし、今回2度目の引退を発表した
それは真実かはわからないが、ヒンギスがコカインという
麻薬を使用したとの事でドーピング疑惑が浮上したのだ
ドーピングとなると最低でも2年試合は出場停止である・・・
ヒンギスはすると30歳になってしまう。。。
ヒンギスはその疑惑と裁判で戦うみたいだが
続ける意思はもう無かった
ヒンギスが裁判と戦いツアーを回って行くのは
とても忙しく、ヒンギス自身もその期間をもっと有意義に
つかいたいと涙声ながら会見に出た
偉大な選手がこんな終わり方をしてほしくないです
もっと晴れやかに引退を盛大に祝ってあげたかったな
でも本当にヒンギスのプレーは最高でした
ヒンギスありがとう
世界に一人、偉大な選手が幕を閉じようとしていた
原因はモチベーションもそうだが、
足の怪我が深刻で歩行や少しの運動なら支障は無いが
プロレベルのなかでだと足は生命線なので
ヒンギスは静かにコートを去った。。。
その後はインタビュアーや解説者、遊びで乗馬やゴルフ
若くしてテニス界の女王になったので
今までの青春、楽しみたい
ヒンギスは、自分がやりたい事をやり、過ごしていた
ヒンギスは解説者としては、毒舌であり、
「えっ??あれを決めれないの??
私なら絶対決めるわ」
など、世界の頂点を極めた人だからこそ、言える解説・・
けど、だからといって、解説に才能があるかというと
そんな事は無かったようだ
けど解説をしている時に、ふと私ならこうやるわ!!
私ならこうして勝ちにいくかしら?
そう思っているうちに、ヒンギスの中のテニス魂が
燃えてきて、後は足の怪我との戦いであった
お医者さんは足は問題ないとの診断
そして
・・・2006年、ヒンギスが突然の復帰
これはテニス界にとっては、大きなサプライズであった
だが周囲の目は厳しく、ヒンギスのテニスは古い
3年も休んでいて、今のパワーテニスに勝てるはずが無い
ヒンギスは年始から試合であった。。
筋トレのパワートレーニングを3ヶ月やっただけで
持久力まで鍛えていける時間が無かったようで
はじめ、ヒンギスの体力面がキーであった
1月オーストラリアハードコート選手権ではSF進出
その次のアディダス国際ではエナンと1回戦
であたり2-6、3-6であった
エナンは言った「もう彼女のテニスは古いから勝っていけない・・・・」
全豪はヒンギスと相性の良い大会
全豪の1回戦では、
シード選手ベラ・ズボナレワであった。。
素質の高い選手で元世界ランク9位だった選手
そして前哨戦準優勝をして、良い調子で全豪に入った彼女
周囲はヒンギスを応援するものの半身半疑であった
だが周囲の心配をよそに
ズボナレワをずっと攻めて、コントロールとボールの高低さ、ライジングなどを織り交ぜ快勝で勝ったのであった
WOWOWの解説者も大絶賛でテニスはパワーだけではない!
など改めてテニスの面白さを視聴者に訴えかけた
TVを見ていた人たちは虜になり、
「ヒンギスの試合をぜひまたお願いします」
と局にお願いの電話が鳴り続けた
久々にパワーだけでない、戦略と、技術でのテニスの
醍醐味があった
またその全豪ではベスト8で第2シードのキム・クリスターズに負けたものの、素晴らしい試合運びだった
そして、圧巻は日本で行われていた東レ
東レはヒンギスは1997年~2002年まで決勝にいって
東レでは、東レの顔とも呼ばれていた
2006年、約4年ぶりに復活であった
そこで当時世界ランキング4位、同大会の第1シードだったシャラポワに
6-3、6-1でまさかの勝利
その東レ戦の光景は目を疑いたくなるほど
シャラポワを手玉にとり、ヒンギスが戦略と相手を翻弄する
ヒンギスのカムバックにふさわしい試合をした
シャラポワが一番驚いていた結果であった
その後も好成績を残し、ランキングは右肩上がりに上昇する
そしてイタリアで復帰後、Tier1のイタリア国際選手権で
バイディソワ、ビーナス・ウィリアムスなどの強豪を倒し
見事優勝
その時点でランキングは16位まで上り詰めていた
全仏ではベスト8まで進出し、
ヒンギスの復活はセンセーショナルであった
ウィンブルドン、全米では早期敗退をしてしまったが
その後も優勝をして
その年のランキングベスト8しか出場出来ない
最後の大会WTAツアー・チャンピオンシップにも
出場権を獲得し、
そこでは、ペトロワに勝利し、エナン、モーレスモには惜しくも負けたがフルセットまでもつれ、
ヒンギス自身、1年でここまで来れるなんて・・・・
1年でランク外から7位まで上り詰め
ヒンギスの復活は誰の目から見ても成功であった
2007年、今年
全豪ではベスト8まで進出し、
東レでは今、世界ランク4位のイバノビッチを手玉に取るように決勝で勝利で優勝
ヒンギス自身も自分がこんな成績を残せていけて
自分自身のこれからに期待をしてしまう自分がいるわ!!
今年はよりブレイクするかと思われた
しかし、怪我に悩まされ、婚約を破棄したり
体力的にも、精神的にも不安定になり
思うように試合が出来ず勝てなくなった
東レ以降、10大会で準々決勝に2回で
後は、2回戦、3回戦での早期敗退
ランキングの低い選手や若手の選手に負けていく・・・
ラケットを途中バボラに変更しようなど、
ヒンギス自身も悩み、解決をしようとしていた
9月以来、臀部の怪我を理由に来年の試合に調整する為に
すぐ今年のツアーを終了し、来年に備えようとしていた
しかし、今回2度目の引退を発表した
それは真実かはわからないが、ヒンギスがコカインという
麻薬を使用したとの事でドーピング疑惑が浮上したのだ
ドーピングとなると最低でも2年試合は出場停止である・・・
ヒンギスはすると30歳になってしまう。。。
ヒンギスはその疑惑と裁判で戦うみたいだが
続ける意思はもう無かった
ヒンギスが裁判と戦いツアーを回って行くのは
とても忙しく、ヒンギス自身もその期間をもっと有意義に
つかいたいと涙声ながら会見に出た
偉大な選手がこんな終わり方をしてほしくないです
もっと晴れやかに引退を盛大に祝ってあげたかったな
でも本当にヒンギスのプレーは最高でした
ヒンギスありがとう
ヒンギスファンの1人です。
残念としかいいようがないですね。
まだまだ活躍してくれることを期待してたのに・・・。
全仏のグラフとの試合(ジャッジにクレームつけて観客からブーイングを受けて負けちゃった試合)も見たと思います。
あの頃は実はあんまり好きな選手ではなくて、「天才少女」と言われて鼻高々になってる女の子っていう印象しかありませんでしたが、
若すぎる引退は残念でした
その後、パワーと叫び声ばっかりの女子テニスがなんかつまらない・・・と思っていたら復帰
これからかな~と思っていたから
もうすこし頑張って欲しかったです。
たっきーーさん、長い記事おつかれさまでした。
ぜ~~~んぶ読んでからコメントしよって、思ってました~~!!
まず、さすが世界のおたっきーー、すごく詳しくって・・・(パチパチパチ~)
これは永久保存版だね!!
ヒンギスもずいぶん故障されてしまって・・・ここまでとは知りませんでした・・
試合も1つ1つがドラマですよね・・・
最後が寂しい感じで、ホントに残念です。。。
yamamamaさんもヒンギスファンだったんですね!!
嬉しいですね!!!記事を実際あんなに書く予定でなかったのですが
思い出すとたくさんあって、
5記事にもなって膨大な量になってしまって読んでもらった方
大変でしたよね!!
応援している選手が引退はやはり悲しいですよね!
自分も落ち込んでしまいましたが、記事書いて少しすっきりしました!
ありがとうございます!
全部読んでくださりありがとうございます!
自分ももう少し経って、ヒンギスを思い出すときこの記事を読んで
振り返れたらいいなって思って書いたんです!
ヒンギスも調べると結構、苦労をしていて
より共感を貰って、より好きになりました!!
後は身の潔白を信じていたいと思います!